「心不全」入院生活と過程『無自覚症状の心筋梗塞を発症していた!』

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きっかけ

2023.4.27

妻は友人と食事へ出かけ、父はデイサービスで不在

友人からの誘いで蔵王の遠刈田へ蕎麦を食べにいく事になり、チワワの天ちゃんのおやつの時間が気になったが、迎えにきたので出発!

片道1.5時間の道のりが悪夢へと変貌する

連れの買ったばかりの車はBMWのM3と言うレース仕様のスポーツカーで、ゆっくりと助手席に乗る車ではないのだ

当然、車酔いし、パニックとなり、発作が起こり、過呼吸になり、罰ゲームと化したのである

勿論、到着時に食欲があるわけもなく、そのまま帰路へ着くことに

合計3時間の罰ゲームを余儀なくされた

その後の状況

4.27をきっかけに過呼吸気味の生活となり、深呼吸が上手く出来ない状態となってしまった

そんな中においても、5.3にはゴルフへ行き、5.8には父の通院へ付き添い、5.12は元請けの幹事役員会へ出席し、5.13~14はYouTube友が集まり秋保温泉へ1泊

5.15にはみなとクリニックへ受診したものの、レントゲン後早々に薬科大病院の呼吸器外科へ紹介状を書くとのこと。。。

それでもまだ5.23にはゴルフへ行き、5.24に呼吸器内科へ受診し、レントゲンと胸部CTを撮影したが、時間が遅くなった為残りの検査は次回にしてもらった

5.29再び呼吸器内科へ受診し、心電図及び心臓超音波検査を実施したところ、心臓がまともに稼働していない事や肺に水が溜まっている事が判り循環器内科へ急遽院内紹介される

循環器内科で確認してもらうと同時に即時入院決定!

問答無用ですな・・・

入院生活

入院当時、息が6割程度しか吸えず深呼吸が出来ない状況で、現状の体重は81.3kgありました

肺に溜まった水を処理するための点滴と血管を広げる薬の点滴の2種類を投与開始

点滴以外にも心電図モニターと酸素を鼻から入れて呼吸を補助する形を取る事に・・・

とにかく呼吸が苦しい・・・

正直、ドタバタ劇での入院だった為、状況把握に時間がかかりましたが、予定では3週間程度の入院との事で、心臓病に関しては無知も重なり不安いっぱいな状況でした

しかしながら、医師チームの皆さん、看護師やスタッフの皆さん(以後、薬科大女子48)の精一杯の笑顔と気遣いと優しさに不安感は薄れていき、自分も前向きにならなくてはと思うようになりました

そして1週目も週末を迎えようとしている

初めての週末

土曜日とは言え、昨夜20時に寝たので4時起床となる

安定の8時間睡眠です

薬科大女子48には5時過ぎに血液検査されてましたけど、血中酸素濃度や体重を測り、順調な朝を迎えた

まだ同フロア内移動しか許可されていない為、昨夜聞き込みをしたところ、ラウンジに自販機があるとのことで、本日さっそく行ってみた

水や御茶以外にもあるじゃないか!

とりあえず炭酸は控えておいて、水とトマトジュースをゲット!

平日は1階常設のローソンが訪問販売してくれるのですが、これで週末の水分不足問題は解決した

禁断症状

毎晩呑んでいたアルコールも、薬の効果と置かれた環境によって、もう寝るしかないと諦めているせいか、全く問題なく寝れている。

排尿を促す薬を投与されている為に、通常のノンアル睡眠時の2時間おきの起床が、トイレのタイミングと合致するので、不眠から罪悪感が無くなったせいもある

点滴から飲用になったことで利尿効果が軽くなったが、睡眠への影響はなく2時間おきの起床でのトイレがなくとも何度寝でもできているのが良い

煙草

ふと暇になるタイミングや食後のタイミングでまだ吸いたくなる

「このタイミングで吸っていたんだ」と思い起こす事がある

煙草を辞めるための条件は、入院中の禁煙実績と自分軸での決断しかない

どれだけ有害物質であろうが、どれだけ他人に諭されようが、そんな事は辞める為の根拠にはならない

メンターからの指示であったり、自分で自分を納得させるしか方法はない

だからこそ自分軸で考えるべきなのだ

他人に決定権を設けた他人軸を主体とした判断基準に何の意味があるだろうか?

自分の人生において決断は自己責任・自己判断で行うべきなのだ

そうすれば他人のせいにすることも無くなるし、他人の目線を気にすることも無くなる

何といっても、他人に期待しなくなるのは大きい

要するに煙草を吸おうが酒を飲むまいが個人の自由であり、やるかやらないかの判断は個人の決定権に委ねられると言うことだ

他人軸ではなく自分軸である事が大切なのだ

入院中の規制

6月4日現在、いまだに同フロアから出る際は、看護師の付き添いのもとである

検査がある時は車椅子に載せられ実施場所まで連れて行かれる

リハビリにおいても、同フロアの通路を2周/セットを土日は5セットの宿題を与えられている

平日はエアロバイクを漕いでのリハビリを行なっている

今日はローソンへ買い物を申し出てみた

しかし看護師の付き添いの下で買い物へ行くか、看護師へ代理でお使いを頼むかという選択肢しかなかった

伸びてきた髭を剃りたかったのと、顔を洗顔フォームで洗いたかったのと、鼻毛を切りたかったのだ

それと、禁煙の禁断症状を和らげる無糖の飴が今は必要だ

水とお茶はフロア内のサロンに自動販売機があるので、そこで購入出来る

それだけでも助かる

今日も天気が良い

自由は全くと言って良い程無いが、天気が良いと外を眺めていて気持ちが良い

昨日は風が強かったが、今日は少し穏やかで最高の日曜日になった

そんな小さな幸せが身に染みるのだ

心臓病棟だからか、コロナの名残なのか、面会に来てもらっても本人に会うことは出来ない(後から来てみたら院内面会謝絶だった)

妻と会ったのは4月29日の入院した当日にチラッとだけ

面会で持って来たものは看護師づ手に渡され、此方からの洗濯物も看護師が持っていく

何とも味気ないシステムなのだ

まぁ、これが入院というシステムと言われれば、そう納得するしかない

まとめ


自分の最大の敵

人は調子が悪くなってから初めてその危機感に気付く

身体・健康に関しては特にそうだ

建設業界に身を置いて、いくら危険予知訓練を行なっていても、他人のせいで発生する事象に関しては厳しいかもしれないが、自分の身体や健康に関しては危機感が甘くなっている

人は自分を甘やかす特技を持った生物だからだ

自分を甘やかし、自分を納得させる言い訳を無限に持ち合わせている

この現実を理解しつつも、結局自分自身という敵に勝つことは難しい

「自分の最大の敵は自分である」これこそが人生の答えだ

突発的な事故によって身体に傷をつけたり、ましてや命を落とすこともある

このような全くの想定外の事象ですら確率的に0%ではないというのに、自分達は想定内の確立に対しても自分を甘やかし続けるのだ

不自由の中の自由

この入院生活が不自由なものなのか?それとも自由なものなのか?一言で不自由だとか自由という前に、メリット・デメリットを並べてみよう

入院生活の不自由

メリット:自分に厳しく生活できる

デメリット:他人軸での生活になる

入院生活の自由

メリット:頼りまくりで思考停止できる

デメリット:死までの時間を有意義に活用できなくなる

要するに受け止め方、自分に対する甘やかし方で決まる

最後に

過去に総合病院へ14年間現場事務所を設けて工事現場に携わって来ましたが、その時感じていた事と、入院して今感じている事は全く同じで、医療従事者の大変さを深く痛感していることに尽きます

看護師の仕事を自分ができるのかと考えた時に、素直に不可能だと感じるからです

「自分にできない事をやっている」= 自分より凄いと認めるに値する

この単純な比較方法が他人を認め、自分の実力を知る一番簡単な手段である事を知っています

このように世の中では、自分より優れた人達に救われ補填され、自分より劣っている人に対して救いの手を差し出し、足りない部分を補う事でバランスを保っています

これが「人は一人では生きていけない」事の所以です

特に病院は命に特化した場所です

だからこそ尚更、強くそう思う事ができるのでしょう

医師はもちろんの事、看護師を初めとする医療従事者の薬科大女子48は素晴らしい活躍をしてくれるのです

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